パナワークス

沖縄を拠点にフリーランスとして活動するナレーター・声優のチーム、
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大平透さんに感謝を込めて

2016/04/16

昨日は講師として関わっていますヒューマンアカデミー那覇校の入学式でした。
自分のやりたい事に向かって一歩を踏み出そうとする人のパワーというのはいいものだなぁと思いました。
新入生はもちろん、新入生を見て1年前、2年前を思い出した在校生、卒業生も「よし、これから頑張るぞ」という気持ちだったんじゃないかと思います。だって随分オトナの私もそう思ったもの。

私は25年前を思い返していました。
大学3年になって一般教養の熊谷校舎から東京校舎に移動。
ようやく東京暮らしになったので、ナレーターの勉強を始めるべく、情報を集めようとしていました。
何気なく読んでいた新聞に、大平透声優ゼミナール東京校開校・生徒募集の広告がありました。
問い合わせてみると、大平透さん本人が授業をしてくれるというではないですか。
早速申し込んだ事は言うまでもありません。
1回目の授業は本当にドキドキしました。
同期生は6名位だったと思います。年齢も様々。
大平さんはアニメで聞いた通りの低い声で、大きな人でした。
一人一人に声をかけ、どうして受講しようと思ったのかを聞かれた覚えがあります。
土日のみの授業でしたが、本当に毎週、大平さんが授業をしてくれました。(他の先生もいらっしゃいましたが)
技術的なことだけでなく、人間として、社会人としていろんな事を教わりました。
その言葉は今でもずっと胸の中にあって、苦しい時にはそっと取り出してみては、初心に返るという感じです。
大平さんの学校は、入学試験がありませんでした。基本的には受け入れる。
でも厳しい事に卒業は「プロになる事」でした。
通っていた頃は「プロになる事」がどういう事か、あまりよくわかっていなかったと思います。

わからないながらも大変な事であるというのは感じていました。

ちょうど大学卒業の年にバブルが弾けたので、一気に就職が厳しくなりましたから。
それでもナレーターとして仕事する事が諦めきれず、模索する中で、沖縄でご縁があり、戻ってきて現在に至るという感じです。
大平さんの東京校の1期生で、かつ初めての卒業生でした。
卒業後も手紙や電話などでずっとおつきあいが続いていたのは、大平さんの温情のおかげだと思います。
80を越え、体調が芳しくないという大平さんを見舞いに東京に行ったのがちょうど1年前の3月。
「ちょっと東京で仕事があるから」と言ったものの、わざわざ沖縄から自分のために来ると思ったようで、多分、無理を押してあってくれたんじゃないかなと思います。
短い時間の中で仕事の事や、声優論、ナレーター論などが出たり…
「杉子とこんな話できるの、嬉しいなぁ。久しぶりにこんな話したよ」という言葉に泣きそうになりました。
ここ数日、変に大平さんの事が気にかかり、連絡しようかどうしようかと思っているうちに訃報が飛び込んできました。
沖縄と東京より遠く離れてしまいました。
結局、結婚報告をして安心させてあげられなかったのと、全部完成してからと漫画原作の受賞報告が出来なかったのが心残りです。
「お前がやりたい事を全力でできることが先生は幸せだ」と常々おっしゃっていたので、少しでもよい仕事をする事が恩返しになると思って頑張らねばと…
言葉に尽くせない感謝を込めて。
25年前と同じ気持ちで歩み始める新年度です。

 

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